劇場版ガンダム00の感想など

一応、twitterで書いた部分もあるのだけど、ここならネタバレに配慮する必要が無いので好き勝手に書くことにする。(なお、サイドバーにtwitterへのリンクを追加した)

物語全体について

ストーリーについてはきちんと時系列で解説してくれている方々がいるのでそちらを参照のこと。
見てる最中の感想は「TOPをねらえの1と2を足して二で割ったような」だったんだが、「ガンダム00だけでスーパーロボット大戦」という方が適切だろうか。ダブルオー世界の総力を結集して異星生命体と対決という、ガンダム的には反則なストーリーという気がする。
一方で人類全体の危機であるが故に、テレビシリーズを生き残ったキャラがそれぞれの立場で最善を尽くそうとして結果的に共闘する構図は、見ていて爽快だし、ストレスが無く最後まで見ることが出来た。(実は人類がで一致団結していく中で、イノベイターであるデカルトと刹那だけがディスコミュニケーションを起こしているという部分が面白いのかもしれない)
今更「かつて共闘した仲間が敵味方」をやられてもストレスたまるだけなので、結論としては『ガンダムとは言い難いけど嫌いじゃない』というあたりで。

MSについて

一般に劇場版の機体は、物語から逆算して設定されるので、非常にとんがった機体になりやすく大好物である。
今回の場合は、地球連邦軍1に対して異星生命体1万というアホみたいな物量差があるので、どいつもこいつもとんでもない高火力の機体で笑ってしまう。一方、その火力を持ってしても覆せない物量差という描写で戦闘シーンの爽快感と緊張感のバランスを取っていたと思う。
まあ、普通にGN-X系列で出撃した人たちは可哀想になってしまうが。
他にも「マリーの活躍はどうしよう→ハルート複座にすればマリーの活躍はいらんね」とか「敵が物量だから狙撃型の活躍シーン無いね→サバーニャはライフルビットで乱れ撃ちの機体」みたいな劇場版ならではの割り切りは良い。
ダブルオークァンタにロクな活躍シーンが無いのは物語上しかたない所。まあ、これからスパロボでいくらでも活躍の場があるだろうし。

異星生命体(ELS)について

設定的にはベタなSFだね、と。脳粒子波の扱える人間を選択的に狙っていたのは、対話を意図していたのが、結果として襲撃になってしまったように解釈した。ELS側の立場から見ると接触し対話を試みたがうまく意思疎通が出来ず、そうこうするウチに攻撃されたので排除することにした、のだろうか。
ガンダムSEED世界では解決されなかった「宇宙クジラ」の設定に対する回答という意味もあるのかもしれない。

連邦における人権意識

デカルトがモルモット扱いされていたけど、連邦における人権意識は割と謎。テレビシリーズでも超兵機関で非道な人体実験をやってるわりに完成したソーマ・ピーリスは仕官待遇してるし。あの様子だとヴェーダの生体端末もひどい扱いを受けているのかも知れない。明文化された規範がないので上官の気分次第で待遇が変わるのかもね。
劇中で大統領が言っていたように新人類であるイノベイター旧人類は対立する構図になるはずで、その解決策は劇中では明示され無かった。この辺は外伝で扱うのだろうか?(劇場版のテーマに添うなら「対話」ということなのだろうけれど)

ヒロイン問題

単純に見てるとフェルトの報われない感じが非常に強い。ただ、意識不明に陥ってた刹那が「生」の象徴としてイメージしたのはフェルトの送った花だったのを考えると、人間としての刹那の拠り所はフェルトであったように思う。
ただし、フェルトは生きる意志を支えてはくれるが、イノベイターとしての刹那を導いてはくれない。そこで思想的な拠り所となるのがマリナになっている。
この二人は対照的で、フェルトはテレビシリーズから一貫して「生き残る」ことに強い意志を見せる割に行動指針についての発言は少ない。マリナは劇場版で特に強調されていたように、自分の命を顧みないが理想を追求する。
フェルトは「生」の象徴で、マリナは「対話」の象徴。そういう形でダブルヒロインなのだろう。

以上!