ネット世論と一般世論が剥離しがちな理由

以前から思ってはいたのだけれど、この前の選挙でハッキリした。それは、「ネット上で形成される世論は、一般で形成されている世論とは剥離してしまっている」ということだ。何故だろうか、というのを時々考えていたのだが、最近ちょっと思い当たるところが出てきたので書いてみる。


多分間違いないと思うが、ネットであれこれと床屋政談を出来る人たちというのは暇がある人なのだろう。「暇」という言葉が悪ければ「身軽」と言い換えても良い。もっと言うなら、家族とのコミュニケーションに必要な時間の少ない人、である。
多くは未婚であろうし、結婚していても子供がいないのかもしれない。両親は別居か、同居でもほぼ没交渉なのではないだろうか。
なぜそう思うかといえば、思いついたままを日記程度に書き散らすならともかく、それなりにまとまった内容の記事を書くためには、相応の時間が必要となる。一人暮らしであればその時間の捻出は難しいことではない*1、しかし家族(特に子供)がいるとなればそうはいかない。子育てに参加するというのは、生活の中で多くの時間を家族のために使うということである。


もう一つ言えるのは、ネット上で政治や経済について語る人というのは、生活に困窮していないということである。正社員とはいかなくても当面の仕事に困らないアテのある人、あるいはニートで働かなくても当面は食べていける人であろう。少なくともネット環境を構築できる程度には収入があるはずである。


で、何が言いたいのかというと、ネットで(仕事以外で)積極的に情報発信を行う人というのは、その時点で一般的な日本人からずれた層になってしまっているのではないかと言うことだ。つまりネットにおけるノイジーマイノリティである。
背負う物が少なく、生活の心配が無いからこそ、「世界の中の日本」であったり「10年後、20年後の日本」などを考える余裕もあるのだろう。多くの人は世界よりも地元、10年後よりも来年を心配して生きているように思う。
その「ズレ」を意識し続けなければ、結局ネット上の意見は少数派の戯言として、世の中へ影響力を発揮することも出来ないまま終わるのではないだろうか。

*1:趣味の範囲である場合「時間を捻出」という意識すら無い人もいるだろう