「責任が誰にあるか」と「自分がどう行動するか」は切り離して考えるべき

「全部自分のせい」も「全部おまえのせい」も政治ゲームから逃げている - 狐の王国
ちょっと疑問なのだけど、「政治ゲームで決まる」としてる以上はその政治ゲームで負けると責任を押し付けられておしまいということも多々あるわけで。派遣社員の問題で言えば、自己責任という言葉で片付けられる可能性ね。
んー。
つまり、責任の免除を伴わない原因の追及ってのは必ず政治ゲーム化するんじゃないかと。(アメリカの事故調査委員会が警察とは独立した調査を行うのはこれが理由なわけだし。)そうすると、政治ゲームの結果として押し付けられた責任者に、状況に対処する能力が必ずしもあるのか?という疑問が出てくる訳ね。
つまり、原因の追及ってのは再発の防止には役にたつかもしれんが、目の前で起こっている事態への対処としては役にたたない可能性があるんじゃないかと。

そんでもって、たとえば責任が某大企業にあるという結論になったとしても、その大企業の株主がそろって「派遣社員の保護に使う金があるなら配当に回せ」と言い出せば、その企業は動けないんじゃないか?
原因が政府にあるとなったとして、国民の大多数(と経団連の偉いさん方とか)が「派遣社員の保護に使う金があるなら税金を安くしろ」とか言い出せば、実質的に何も出来なくなるんじゃないか?

結局、自分の身を守るのは「誰に責任があるか」じゃなくて「自分がどう対処するか」であって、余力のない人間が政治ゲームに興じるのは博打でしかないんじゃないかなぁ、と思うのだが。


それと、突然契約を切られたことで、いきなりホームレスに突入しちゃう人たちってのは、1ヶ月前に解雇予告をもらったところで何も出来ない気がするんだよな。そもそも全国的に雇用が縮小してるわけだし、条件に合わないところでは働きたくない人たちなわけだし。